
評価制度を作ったのに、シートを回収するだけで終わっている。面談は形式的に済ませ、翌年も同じ様式を配る。多くの中小企業で起きているこの状態は、担当者の努力不足ではなく、制度設計の構造から生まれています。公的調査を読むと、形骸化の原因は3つに絞り込めます。しかも3つとも、様式を作り直さずに手を打てる論点です。この記事では、原因を数字で特定したうえで、運用を定着させるための具体策と国内の実践事例を整理します。
評価制度の「形骸化」とは何を指すのか
形骸化とは、制度が存在し運用の形も残っているのに、本来意図した効果を生まなくなった状態を指します。評価制度の場合、シートは提出されているのに、評価結果が処遇にも育成にも接続していない状態がこれに当たります。要点は、廃止された制度ではなく「動いているように見える制度」が対象だということです。だからこそ経営層からは問題として見えにくく、人事責任者が意識的に点検しないと放置されます。まずは自社が形骸化しているかどうかを、判定可能な形にしておく必要があります。
形骸化を判定する3つのサイン
抽象的に議論すると結論が出ません。次の3点のどれかに当てはまれば、形骸化が始まっていると判断してください。
- 評価結果を根拠に説明できた昇給・昇格が直近1年でゼロ
- 評価コメントが前年とほぼ同じ文言で埋められている
- 評価者が評価基準の文言を見ずに採点を終えている
3つ目は特に見落とされます。評価者が基準書を開かずに採点できるのは、基準が評価者の頭の中の印象に置き換わっている状態です。この段階になると、シートの様式をどう改良しても結果は変わりません。運用側の点検が必要になります。
制度がないのではなく「回っていない」のが実態です
数字で確認すると、制度そのものは半数程度の事業所に存在します。厚生労働省の令和7年度調査によると、職業能力評価を行っている事業所の割合は54.5%で、正社員に対して行っている事業所は54.0%、正社員以外に対して行っている事業所は38.3%でした。企業規模別に正社員への実施率をみると、30〜49人が48.9%、50〜99人が52.6%、100〜299人が52.5%となっており、規模による差はさほど大きくありません。つまり中小企業でも半数近くが評価の仕組みを持っています。問題は有無ではなく、その運用が成果に結びついているかどうかです。
出典:厚生労働省「令和7年度『能力開発基本調査』調査結果の概要」
評価制度が形骸化する3つの原因
同調査を読み込むと、形骸化の原因は次の3つに整理できます。いずれも様式ではなく運用設計の問題です。
原因①:評価が査定に偏り、育成に使われていない
最も大きな断層がここにあります。同調査で職業能力評価の活用方法をみると、「人事考課(賞与、給与、昇格・降格、異動・配置転換等)の判断基準」が86.2%で最も高く、「人材配置の適正化」が55.9%と続きます。一方で「労働者に必要な能力開発の目標」は36.7%、「人材戦略・計画の策定」は27.5%、「人材の採用」は26.6%、「技能継承のための手段」は21.1%にとどまります。査定用途と育成用途の差は約50ポイントです。評価が査定のためだけに使われると、被評価者にとっては「点数をつけられる年次行事」になります。次の行動につながらない評価は、数年で必ず形式化します。育成に接続していないことが、形骸化の最大の原因です。
原因②:評価する側の体制が整っていない
2つ目は、評価と育成を担う人がいないという物理的な制約です。同調査では、能力開発や人材育成に関して何らかの問題があるとする事業所の割合が80.1%に達しました。問題点の内訳は、「指導する人材が不足している」が59.5%で最も高く、「人材を育成しても辞めてしまう」51.6%、「人材育成を行う時間がない」45.5%、「鍛えがいのある人材が集まらない」27.5%、「人材育成の方法がわからない」10.0%と続きます。指導する人がいない、時間がないという状況では、評価面談は「短時間で終わらせる作業」に変わります。制度の完成度より、評価者の時間と力量の確保が先だということです。
原因③:制度の土台となる計画と担当者がいない
3つ目は制度の足元です。同調査によると、事業内職業能力開発計画について「いずれの事業所においても作成していない」とする企業は79.8%で、企業規模別では30〜49人が84.2%、50〜99人が82.8%と、規模が小さいほど高くなります。職業能力開発推進者についても「いずれの事業所においても選任していない」とする企業が82.2%で、30〜49人では85.1%、50〜99人では83.0%です。育成の方針を書いた文書がなく、担当者も決まっていない状態で評価だけを回せば、評価結果の受け皿がありません。評価が育成に接続しないのは、接続先が用意されていないからです。
運用を定着させる5つの対策
原因が特定できれば、対策は絞れます。優先順位の高い5つを、着手順に並べます。
対策1〜2:目的を分け、面談を評価に接続する
最初の対策は、育成用の記録と査定用の記録を分けることです。1枚のシートで両方をやろうとすると、被評価者は弱点を書かなくなります。育成用シートは自己申告を前提に本人の課題を書き出す場とし、査定用シートは評価者が事実に基づいて採点する場として切り離します。2つ目は面談の接続です。同調査では、キャリアコンサルティングの実施時期として「人事評価のタイミングに合わせて実施する」が正社員で47.4%にのぼります。また労働者の主体的なキャリア形成に向けて実施した取組では「上司による定期的な面談の実施(1on1ミーティング等)」が69.8%で最も高くなっています。すでに面談は行われているため、新しい会議体を作る必要はありません。既存の1on1に評価シートを持ち込むだけで接続できます。
育成用シートと査定用シートを分ける実務手順
分離は次の5ステップで実施できます。既存の様式を流用できるため、追加コストはほとんどかかりません。
- 既存の評価シートから育成に関する項目を抜き出す
- 抜き出した項目を本人記入の「育成シート」に組み替える
- 残った項目を評価者記入の「査定シート」として維持する
- 育成シートは処遇に使わないことを社内に明文で告知する
- 育成シートは面談の場で本人と評価者が一緒に確認する
4番目の明文告知が要点です。「処遇に使わない」と言い切らないと、本人は課題を正直に書きません。逆にここを保証できれば、面談で扱う情報の質が大きく変わります。
対策3〜5:検定の活用、助成金、スモールスタート
3つ目は検定・資格の活用です。同調査では、職業能力評価を行っている事業所のうち検定・資格を利用している事業所は80.1%で、そのうち「賃金の引上げに反映させている」事業所は85.5%でした。利用している検定・資格は、国家検定・資格または公的検定・資格が72.2%、民間検定・資格が46.4%、技能検定が40.2%、社内検定・資格が30.5%です。外部の合否判定を組み込めば、評価者の主観に依存する範囲を狭められます。4つ目は助成金です。同調査によると人材開発支援助成金を受給したことがある企業は15.3%にとどまり、「制度について知っていたが、受給したことはなかった」が51.9%、「制度について知らなかった」が32.8%を占めます。受給企業では、社内の職業能力評価基準等に沿ったスキルの向上がみられた労働者が「増加した」と回答した割合が41.6%で、受給していない企業の25.2%を大きく上回りました。5つ目は範囲を絞った試行です。全職種同時ではなく、1部門・1職種で1期だけ回してから広げてください。
定着させるうえでの注意点
対策を進めるうえで、先に潰しておくべき落とし穴が2つあります。1つは基準を作り込みすぎることです。厚生労働省の活用事例集では、公的な職業能力評価基準について「評価基準が無数にあって使いづらいと感じる人もいるはず」「必要な情報をピックアップしてカスタマイズする作業が困難である」という現場の声が紹介されています。網羅的な基準をそのまま持ち込むと、運用初年度で息切れします。もう1つは評価者の目線がそろわないまま量を増やすことです。同事例集には、中小企業では評価基準が存在せず、営業部門などでは売上等の業績や行動による評価、いわゆる「評価者の肌感覚」が大半になっているという指摘もあります。基準を具体化しないまま項目を増やすと、評価のばらつきだけが拡大します。項目数は絞り、評価者間で採点をすり合わせる時間を年1回でも確保してください。
出典: 厚生労働省「職業能力評価基準活用事例集(平成30年度)」
国内の実践事例
形骸化を回避した国内の取り組みが公開されています。いずれも小規模組織の事例です。
育成と査定を切り離した森林組合の「職員スキルアップ制度」
静岡県掛川市の掛川市森林組合(事務職員4名、技術職員10名、技術員9名)は、公的な能力評価基準表をそのまま適用するのは難しいと判断しました。理由として、小規模事業所であること、事業内容が多種多様で職員の能力を一つのものさしで測れないこと、配置転換があること、評価者が若く発展途上であることの4点が挙げられています。そこで同組合は基準表を「人材育成のための制度」として読み替え、2016年4月から「職員スキルアップ制度」の運用を開始しました。中核ツールは「年間ふりかえりシート」で、「年間目標の設定とふりかえり」と「達成度チェック」の2部構成です。達成度チェックは「知識・技能」「一般業務管理/自己管理」「取組姿勢」の3項目に全40項目の達成基準を置き、職員自らがS・A・B・Cの4段階で記入します。目標数は2〜3つに絞り、「何をどの程度できるようになる」まで水準を明確化させています。重要なのは、同制度が人材育成のためのツールであり、人事評価や査定等に影響することは全くないと職員に明言している点です。効果として、職員が自らの役割を理解し仕事への意識が変化したこと、シートがコミュニケーションツールとして機能し職員との距離が近くなったことが報告されています。
毎日のコメント入力で運用を回す介護事業者
東京都杉並区で介護事業を運営する株式会社ここからは、職能要件書、自己診断シート、人事考課表を組み合わせた運用を行っています。特徴は頻度です。職能要件に基づいて何をすべきかを明確にしたスキルシートとチェックシートを用意し、指導するトレーナーがチェックだけでなく気付いたコメントも毎日入力しています。また新入職員でも10年の経験者でも同じようにトレーナーがマンツーマンで指導する運用に変更しました。結果として常勤の95%が介護福祉士などの資格を保有し、定着率は業界標準より高い水準にあると報告されています。年1回のシート回収ではなく、日次の記録を積み上げる設計が形骸化を防いでいる点が参考になります。
基準の具体化で納得感と工数を同時に改善した事例
東京都千代田区の株式会社ワン・オー・ワンは、人事評価システムに公的な職業能力評価基準を組み込んで提供しています。同社の報告では、システム導入時に具体化された評価基準を設けたことによって被評価者の納得感が出たという声があり、あわせて紙やExcelでの作業から脱却でき評価者の工数が減ったという副次的な効果も挙げられています。また、公的基準が活用されない理由として、評価基準の作り方が分からず既存の「肌感覚」を踏襲し続けてしまう点や、網羅的なため自社に合わせて取捨選択する工数がかかりそうというハードルが指摘されています。同社は、はじめから使いやすい形の基準を土台にして徐々に自社独自のカスタマイズを増やすスモールスタートを推奨しています。
まとめ
評価制度の形骸化を止めるために、人事責任者が押さえるべき要点は次の3つです。
- 査定用途に偏った評価を、育成用途と切り分けて両方に接続する
- 評価者の時間と力量の確保を、制度の完成度より優先する
- 育成方針の文書と担当者を先に決め、評価結果の受け皿を用意する
査定の判断基準としては86.2%が評価を使う一方、育成目標として使うのは36.7%にとどまります。この約50ポイントの差が形骸化の正体です。まずは既存シートから育成項目を抜き出す作業から着手してください。
本記事は公的機関の公表統計および公開事例を基にした一般的な情報です。評価制度の改定や賃金への反映に関わる手続きについては、社会保険労務士等の専門家にご確認ください。